2021年9月13日月曜日

この世 あの世

 私たちはどのような人生の最期を迎えたいのでしょうか。患いなくぽっくり死ねたら良い。苦しんで死ぬのは嫌だ。こう考える方が多いことでしょう。しかし、私たちは自分の死に方を決めることは出来ないのです。ただ、できれば心安らかに臨終を迎えたい。「ああ、いい人生だった」と思って臨終を迎える事が出来れば、とても素晴らしいことです。しかしその反面、死について真剣に考えることは少ないのではないかと思います。誰だって死ぬのは嫌なものです・やり残したことがあったり、家族や友人と別れなければならない。今まで築いてきた財産や物を置いていかなければならない。そんなことをあれこれ考えながら生きるのは大変つらいことです。ですから、死ということから目をそむけようとします。死は必ず来ると分かっていながら、そのことを考えようとはしません。「いつまでも死ぬる気のない顔ばかり」私達は、今日明日で死ぬ命ではないと思って生きています。でも、誰しもがいつか命終わるときが来るのです。  「阿弥陀経」の中に「これより西方十万億土を過ぎた世界に極楽浄土があり、そこに阿弥陀仏がおられます。人々が一心不乱にお念仏を称えて、命終わる時、阿弥陀仏の導きにより極楽浄土へと往生することができる。」と説かれています。私たちはお念仏一つで極楽浄土に生まれることができるのです。  コロナ禍という先の見えない中で、不安な日々を送っておられる方も多いと思います。しかし、どうか不安に飲み込まれないでください。今よりもはるかに命の危機にさいなまれていた戦乱の時代に、法然上人はこのようなお言葉を残してくださいました。     ~ 生けらば念仏の功積り 死なば浄土へ参りなん とてもかくてもこの身には 思い煩うことぞなき ~  つまり、「生きている間はお念仏を称える中に、求めずとも阿弥陀様が見守って下さる。たとえ命が尽きたとしても、お浄土に参らせていただくことができる。」とお説き下さったのです。   どうぞこのお言葉を信じ、阿弥陀様を心の拠り所としていただき、お念仏を心の支えとしてお過ごしください。  合掌