2022年11月30日水曜日

本堂ライブのご案内

 宇和島市民文化祭が「つなげよう 文化の力 次世代へ」をテーマに二か月にわたって開催されました。 いよいよ12月4日(日)最終日は、中村仁樹「和楽器スペシャルライブコンサート」が南予文化会館大ホールで開催されます。  12月5日(月)は1時から、浄念寺本堂においてフルメンバーでのライブ演奏がありますので、ご自由にご参加ください。

2022年11月29日火曜日

お念仏の声は浄土に届く

“ひとはなぜ 亡きひとのこゑを 憶えゐる 呼ばれればすぐに 振りむけるほどに”     亡くなられた最愛の方の声は、いつまでも耳に残るものです。「もし名前を呼んでくれればすぐに振り向くのに」  大切な人を失ったとき、そんな思いが起こる私たちではないでしょうか。私たちが称えるお念仏の声は阿弥陀様に届きます。そしてそのお念仏の声は懐かしい方にも届きます。  私たちが亡き方の声を覚えているように、浄土におられる方も私の声を懐かしんでくださいます。  いつか命終えるその時には。私のお念仏の声を頼りに阿弥陀様がお迎えくださり西方極楽浄土にお連れくださいます。  亡き方はいつの日か共に浄土で再会し、また互いに声を掛け合う日を楽しみにしてくださいます。 お念仏を称える今の私の姿を耳には聞こえない声で励まし、目には見えない姿で喜んでくださいます。  私たちはたった一人でお念仏を称えているのではありません。私の声に振り向いてくれる阿弥陀様、先立つ大切な方がおられることを思い出しながら、どうか毎日のお念仏にご精進ください。合掌

2022年10月8日土曜日

お十夜

 秋も深まりをみせ、肌寒さを感じることも多くなってきたこの頃、全国各地の浄土宗寺院では、十夜会(十夜法要)が営まれます。 「十夜」とは「十日十夜」を略したもので、元来は、十日十夜の間、昼夜を問わずお念仏を唱える法要。現在では、10月から11月にかけて、数日間から1日と日数を短くして勤める寺院が多いそうです。   お念仏はいつでも、どこでも、だれでもできる易しい行といわれます。しかしながら、普段、日々の生活に追われ、私たちは思うとおりにお念仏を唱えることができないものです。  阿弥陀様は、人々の苦しみを自ら背負い、その幸せと平和を求めて誓願(衆生救済のための誓い)を立てられました。気の遠くなるような長い修行の末、「南無阿弥陀仏」と唱えれば、だれもが極楽浄土へ往生できるようにしてくださいました。法然上人は、「南無阿弥陀仏の六文字のなかには、阿弥陀様のあらゆる功徳が込められている」とおっしゃっています。  十夜会は、善行(お念仏)を積む絶好の機会となります。お参りの際には、一心にお念仏をお唱えしましょう。またお参りする機会のない方は、阿弥陀様に思いを馳せながら、お念仏をお唱えしてみてはいかがでしょうか。   浄念寺では、10月19日、午後1時からお十夜法要を行います。ご参加自由です。塔婆供養をされる方は前もってお申し込みください。合掌

2022年9月22日木曜日

秋彼岸

 日中はまだ暑さが残り、夏のように感じられる日もありますが、朝夕は大分しのぎやすくなってきました。昔から「暑さ寒さも彼岸まで」と言われてきたように、秋彼岸を迎えるころには、日増しに秋の気配を感じられるようになります。   秋のお彼岸の期間は、秋分の日を中心と一週間(今年は9月20日から26日まで)で、この間多くの寺院では彼岸法要が営まれ、仏さまやお墓をお参りする人でにぎわいます。   「彼岸」とは、古代インドで使われたサンスクリット語の「パーラミター(波羅蜜多)」に由来する言葉で「向こう岸に渡る」という意味を持ちます。これを漢訳すると「到彼岸(とうひがん)」となり、私たちがいる苦しみの多い迷いの世界(此岸)から仏様のいる悟りの世界(彼岸)に至ることをいいます。   浄土宗では、この彼岸を此岸に対する極楽浄土を指して用いることもあります。極楽浄土は、悩みや苦しみから離れた場所、まさに私たちの世界と相対する世界と言えるでしょう。さらに、彼岸はさとりを目指す仏道修行の期間ともされています。「極楽浄土に往生することを願いお念仏する」。簡単なようですが、私たちが法然上人のように常日頃からその想いを持ち続けるのは難しいことでしょう。  そこでお彼岸の機関には、極楽浄土のある西の方角に沈む夕日を眺め、往生への想いを新たにしてみてはどうでしょうか。きっと日々お念仏に励む良いきっかけになるはずです。

2022年8月9日火曜日

ひとりじゃない、そばにいるよ

 今年もコロナ禍でお盆を迎えます。数年前までは、お盆に帰省し家族や親族と会うことが当たり前でしたが、昨今はそれも難しく、コロナ禍以前がとても懐かしく思えます。  お盆と言えば、ご先祖さまをお迎えしご供養する行事ですが、親族や友人と再会することも楽しみの一つであったのではないでしょうか。   法然上人のご法語に「衆生、仏を礼すれば、仏これを見給う。衆生、仏を唱うれば、仏これを聞き給う。衆生、仏を念ずれば、仏も衆生を念じ給う」というお言葉があります。これは親が子を見守るように私たちの行いや思いを、阿弥陀さまは常に極楽浄土から見ていてくださるということです。阿弥陀さまのいらっしゃる極楽浄土は、お念仏の功徳によって往生された方々がお生まれになる場所。阿弥陀さまとともにご先祖さまも私たちのことを見守ってくださっています。  私たちはより良い将来のため、常に先のことを考えて生きています。しかし過去を振り返ってみると、今の自分があるのはご先祖様さまのおかげでもあります。私たちは2人の両親、4人の祖父母、十代前は1024人、二十年前まで遡ると、百万人以上のご先祖さまがおられます。もし1人でもいなければ今の自分はいません。あたり前のように生きている自分も、多くの命やご縁によって生かされている、とても有難いことなのだと思い起こし、ご先祖さまへの感謝の念を深めていただければと思います。   まだまだコロナの終わりは見えませんが、少しずつ元の生活に戻りつつあるような気がします。以前のように過ごせるのはもう少し先になるかもしれませんが、これから迎えるお盆には、阿弥陀さまとご先祖さまに感謝の気持ちを込めてお念仏をお唱えいたしましょう。きっと極楽浄土から私たちを見守ってくださいます。 

2022年6月24日金曜日

称えるうちに 雲晴れて

『紫陽花や 昨日の誠 今日の嘘』。これは、正岡子規の有名な一句で、人の心の移り変わりを花に喩えて詠んだ句です。  二年以上続くコロナ禍、ウクライナ侵攻、さらには地震や大雨による自然災害など、この時期の曇天のような世情で、心も暗くなってしまいがちではないでしょうか。そのなか、ちょっと自分の心を覗いてみるとどうでしょう。些細なことでカッと怒っていると思えば、今度は楽しく笑っている。毎日様々な要因によって心は振り回されています。  私たちは日々生きていくうえで、ついつい心の中を煩悩で曇らせてしまいがちです。しかしながら、一心にお念仏をおとなえするうちに、阿弥陀様の光明が、心を明るく照らし、晴らしてくださいます。  世情や気候によって。心まで塞がってしまう時期ですが、今こそお念仏をとなえる日々を送ってみてはいかがでしょうか。南無阿弥陀仏。

2022年5月23日月曜日

お念仏からはじまる幸せ

 令和6年には、法然上人が浄土宗をお開きになって850年になります。浄土宗では「お念仏からはじまる幸せ」というキャッチフレーズを作りました。普通の人は「お念仏」と「幸せ」がどう繋がるのかと疑問に思われるかもしれません。お念仏と言うのは「南無阿弥陀仏」と称えて西方極楽浄土に生まれさせていただく教えです。なのに、「幸せ」というのは“今”の話です。お念仏からはじまる幸せとは何だと思われますか。    自分は幸せだと思っている人はお念仏なんて必要ないと思うかもしれません。でもいつかその幸せは崩れます。生きていると辛いこと、悲しいことがたくさんありますよね。それを乗り越えて幸せだと思えることが、お念仏の信仰です。生かされて生きることの喜び、どんなことがあろうとも、お念仏の中に日暮らしをさせていただいて、ああ幸せだなと思えるような時がやってきます。それこそがお念仏からはじまる本当の幸せです。 信仰は理屈ではなく、自分で感じるもの。自分がお念仏を称えて阿弥陀様の存在を信じることができれば、その時初めて本当の幸せをつかむことが出来るのです。  ~後の世も この世と共に 南無阿弥陀仏 仏まかせの身こそやすけれ~ 南無阿弥陀仏

2022年4月13日水曜日

 日本から8200キロのかなた、いや、わずかそれだけの距離のところで戦争が起こっている。内戦や地域紛争ではなく、原子炉を攻撃対象にし、子供を含む民間人に数多くの死傷者を出しているロシアによるウクライナ侵攻は、世界中の多くの国から非難を受ける、まさに戦争だ。   お釈迦様の教えを最も忠実に現代に伝えるという、古い経を集めた『スッタニパータ』という経典がある。その千を超える詩句の中で、わずか10句の「慈しみの経」がお釈迦様の口から述べられる。現在も南方仏教で大切にされているこの経典には、知足の生活、平和の境地などが説かれる。   その中で、「他の識者の非難を受けるような下劣な行いを、決してしてはならない。一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ」と、共生(ともいき)の世界におけるすべての生命の大切さを説き、また「全世界に対して無量の慈しみの意(こころ)を起こすべし。上に、下に、また横に、障害なく恨みなく敵意なき慈しみを行うべし」と、慈しみの大切さも説く。軍事侵攻している当事者にぜひ伝えたい言葉だ。

2022年2月7日月曜日

涅槃会

2月15日は、仏教を開かれたお釈迦様の入滅(亡くなられた)日とされ、各地の寺院ではお釈迦さまへの報恩感謝を捧げる「涅槃会」が営まれます。お釈迦さまは29歳で出家し、35歳で「さとり」の境地を得られましたが、80歳で入滅したときをもって身体的な「苦」からも脱し、「完全なるさとり」、いわゆる「涅槃」に入られました。    「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす」(平家物語)。沙羅双樹は釈尊の涅槃を以て、色を失った白い花を咲かせたといいます。悲しみの白い花です。涅槃図では、多くの弟子たちの中、念仏の教えを授かった阿難尊者はさとりを得られる前であり、独り号泣し嘆き悲しむ姿で描かれています。大切な人との別れに戸惑い、立ちすくむ私たちの姿に重なって見えます。    2月から3月にかけて、当山でも立派な涅槃図を祀ります。ご自由にお参りください。    お釈迦さまの尊い姿を拝んで念仏に励み、暖かい春を共に待ちましょう。

2022年1月9日日曜日

幸せへのスタート

阿弥陀仏の慈光のもと、爽やかな新春をお迎えになられましたことをお喜び申し上げます。   ~月かげの いたらぬ里は なけれども ながむる人の 心にぞすむ~ これは、阿弥陀さまの慈悲を月の光にたとえられて、お詠みになられたものです。月の光はすべてを分け隔てなく照らしていますが、その光に気づき、月を仰いで感謝する心が起こらなければ、その月の光にあずかることができません。それと同じように、すべてを救済しようとされる阿弥陀さまを仰いで、お念仏を唱える日暮しを送ることで、日々お見守りにあずかり、浄土への往生が約束されることから、お念仏が勤められるのです。暗闇の中を歩くような現世を生きる私たちにとって、阿弥陀さまとそのお浄土は尊く大きな光であり、法然上人のお示しくださった御詞やその教えは、現世を生きる私たちの大きな心の支えであり、道しるべとなるものです。   お念仏をとなえる日々を送りながら、日々の一つ一つが有難いことを感じて、一年のスタートをきりたいものです。   皆さま方の一年が「幸せ」に溢れる、より良い年になりますように。 南無阿弥陀仏