2024年10月30日水曜日

お十夜会

 10月26日、小雨の中、今年もお十夜会の法要が無事行われ、多くの方にお参りいただきました。 法要後には、熊本教区から来ていただいた大連寺の高坂上人のお話を拝聴し、「安心」「笑って生きる」ことの大切さのお話など、心に残るお話を頂戴いたしました。  どんな時もお念仏と共に、笑いながら生き抜いて参りましょう。合

2024年10月3日木曜日

お十夜法要

 今年もお十夜が近づいて参りました。お十夜は正式には「十日十夜法要」と言い、文字通り十日間、昼夜に渡りお念仏を唱え続けるものです。その由来は浄土宗の拠り所とする『無量寿経』の「煩悩や誘惑の絶えない娑婆世界で十日十夜の間、善行を積むことは仏様の世界で千年にわたって善行を修めることよりも優れている。」との一説に基づいています。これは煩悩の存在する世界で日々を送る私たちだからこそ、善行をすることがさらに有難いということです。浄土宗ではお念仏をお唱えすることこそ、自身が往生するための最大の善行とされるため、十夜法要では参列者が声を合わせてお念仏をお唱えします。慌ただしい日常の中で自分の姿を振り返る機会はなかなかないかもしれません。十夜法要で、自他の往生を願ってお念仏をお唱えするとともに、自身の姿を振り返り浄い心を育むきっかけにしてみてはいかがでしょうか。  浄念寺の十夜法要は、10月26日(土)、午後1時半より本堂にて行います。また法要後には、熊本教区大蓮寺の高坂真我上人のお話もございます。皆様どうぞお誘い合わせの上お参りくださいませ。 合掌

2024年8月20日火曜日

お施餓鬼会

 朝夕ようやく少し暑さが和らいできましたが、今年はいつにない猛暑続きの夏となり、厳しい暑さの中お参りに来られた方の姿を心配するほどでした。  本年も8月17日、本堂にて大施餓鬼会法要を厳修いたしました。日が暮れると涼しい風も吹き始め、法要後にはお盆の送り火のひとつである精霊流し(お舟流し)も行われ、蠟燭に灯りを燈して静かに手を合わせ、ご先祖様へ想いを馳せる多くの方でにぎわいました。  お施餓鬼とは、古来からのゆかしい盆行事のひとつで、施餓鬼で常に飢餓に苦しむ亡者を供養することにより、その功徳をご先祖様に振り向ける法要です。私達は、自分の命を維持するために多くの生類の生命を奪って、生かされています。お施餓鬼にはこれら多くの三界の万霊にも供養の志を運び、私たちの心の中にある餓鬼の心をみつめ、阿弥陀如来様の平等大慈悲の教えを汲み受けて、南無阿弥陀仏と唱えつつ、自浄其意の念仏道に目覚めたいものです。命のもとへの感謝の気持ちを常に忘れず、日々お念仏をお称えいたしましょう。

2024年5月1日水曜日

お念仏とともに歩む生き方

私たちは生活の中でいろいろな時に幸せを感じます。健康でやりたいことが精一杯できる時、家族と共に和やかに過ごす時、欲しかったものを手に入れられた時など。 しかし、そうしたことはいつまでも続くとは限りません。予想しなかった大きな病気に見舞われることもあるでしょう。突然愛する家族と離れ離れになることもあるでしょう。欲しくても、どうしても手に入らないこともあるでしょう。 私たちの人生はままならないものであり、自分の願い通りにならないという点において、すべては苦しみであると説くのが仏教の心理。 このような人生の中、お念仏はどのような幸せを私たちにもたらしてくれるのでしょうか。  それは消えてしまうかもしれない、どうしても手に入らない、そのような「はかなさ」を超えた、変わることのない幸せです。  ままならない人生は阿弥陀さまにすべてお任せし、お念仏を称えることで、阿弥陀さま、ご先祖さま、懐かしいあの方のあたたかな眼差しがあなたのもとに届きます。 想像してください。あなたの幸せを祈り、優しく見守り続けてくれる方がいるということを。 どんな時も、ひとりではありません。  南無阿弥陀仏と唱えることは、その祈りを受けとり、ほんとうの幸せを叶えるための第一歩。  お念仏から、あなたの幸せがはじまります。

「お念仏からはじまる幸せ」

浄土宗開宗850年キャッチコピー「お念仏からはじまる幸せ」とは、ただ単に「幸せ」を追求するのではなく、本当の「幸せ」とは何かを考え直すためのフレーズです。欲求が満たされることも「幸せ」の一面ですが、欲求が満たされる事だけが「幸せ」ではありません。 「仏法僧の三宝」の「明るく、正しく、なかよく」生きる生活の中に、「幸せ」の本質があると考えます。 「お念仏からはじます幸せ」とは、お念仏を称えることにより、自分自身が生かされていることに気づかされる。そしてお念仏を称えることが阿弥陀さまに見守られ、救われていく安心につながり、お念仏の信仰を深めていくことです。

2024年1月6日土曜日

 お正月に寺院で行われる修正会では、その年の天下泰平、万民豊楽等を祈ります。   人々の平安を祈る偈文に「祝聖文(しゅくしょうもん)」があります。   天下和順(国中すべてのものが和らぎ)、日月清明(日や月が大空に輝き)、風雨以時(時に応じて雨が降り、風が吹き)、災萬不起(災害や疫病が発生せず)、国豊民安(国や民は豊かにまたやすらかに)、兵が無用(武器を行使せずに戦うことなく)、崇德興仁(人々は徳を崇め、仁を興し)、務修禮譲(礼儀と謙譲の道にいそしむ)の八句です。   この偈文から私たちは反省しなければならないことがとても多いです。「兵が無用」について考えますと、世界は国際紛争が絶えず化学兵器の増産に向かい、原爆の存廃にも意見が対立しています。「日月清明」を希求する地球人が、人類、動、植物など、全生命を絶滅させてしまいかねない、現代の科学が到達した「兵が」の使用で自らの星を壊滅してもよいのでしょうか。武器は人間が創ったものですから、自らの手で「兵が無用」が実現できると信じています。   法然上人が浄土宗を開かれてから850年。世界の平穏とすべての人々の幸福を祈ることから、新しい一年を始めましょう。合掌