浄念寺は愛媛県宇和島市にある浄土宗の寺院です。 山門横には芝崎観音堂があります。江戸時代、当寺の前は海で芝崎の地と呼ばれていました。その芝崎の地に流れ着いた観音様を大切に供養し、その地名をとって芝崎観音と呼ばれ尊崇されています。 芝崎観音は千手観音菩薩です。御開帳は毎年7月17日で、芝崎観音夏祭りとして賑わっています。堂内には木彫りの33観音様、堂外には石彫の33観音様をおまつりし観音霊場として親しまれています。
2023年12月18日月曜日
2023年9月26日火曜日
秋彼岸
秋分の日を中日とした7日間の「秋彼岸」。気持ちの良い秋晴れとなったお中日の23日、本堂にて秋彼岸法要を行いました。「彼岸」とは、私たちの生きている迷いの世界「此岸」に対し、煩悩を超えた先にある「さとりの境地」を意味し、浄土宗では西方にある「極楽浄土」を喩えた言葉としても用いられます。法然上人が師と仰ぐ中国、唐代の僧、善導大師は「春分・秋分の日には太陽が真西に沈むため、そのはるか彼方にある極楽浄土に心を寄せ、往生の想いを新たにするのに最適な日である」と説かれました。西の方角へと沈んでいく夕日を観て、その彼方にある極楽浄土を想い描くことは「日想観」と呼ばれ、仏教における一つの修行として位置づけられます。これに倣い、浄土宗では彼岸を、極楽浄土を想い、そこへ往くための修行であるお念仏を称える期間としています。皆様もお参りをされる中、極楽浄土、そしてそこにいらっしゃる亡くなった方々を想い、お念仏をおとなえください。合掌
2023年9月3日日曜日
灯篭終い
8月31日18時より、初盆最後のご供養を行いお焚き上げをいたしました。
ご親族様方とともに仏様をお見送りし、今年のお盆を無事終えました。
またいつもの日常に戻りますが、皆様どうぞ日々のお念仏はお忘れなく、感謝と喜びに満ちた毎日を。合掌
2023年8月22日火曜日
お施餓鬼会
8月17日、今年も本堂にて施餓鬼会法要が行われ、多くの方にお参りいただきました。
天候が心配されましたが何とか小雨程度にとどまり、お舟流しも例年通り行う事ができました。灯を燈したお舟に皆様手を合わせ、ご先祖様に想いを繋いでおられました。
ご先祖様からの命のバトンによって今生かされている私達。この感謝の気持ちを忘れることなく、日々お念仏に励みたいものです。 合掌
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2023年7月31日月曜日
お盆が近づいてまいりました。
総本山知恩院 伊藤御門主猊下がお盆に際して、「私たちは自分一人で生きているのではありません。ほかの人の尊い支えによって生かされています。そして自分もまた他人の支えになっているのです。ともに奉仕をし合っている姿があります。支えるということが 自然と支えられているということを気付かせてくれます。ほかの人から恩を受けずには生きていくことはできません。この支えあいの精神を浄土宗では「共生(ともいき)」と言います。共に生きてゆく世界を願っているのです。この浄土宗の願いは まさにお念仏の精神から生まれているのです。お念仏の精神によって報恩と感謝の気持ちが自然と出てくるわけです。」と仰せられています。
檀信徒の皆様がお念仏によって より深く生きられることを願っております。 合掌
2023年7月14日金曜日
観音様 御開帳
17日は、年に一度の芝崎観音様の御開帳。18時より法要があります。終日お参りできますが、御開帳は18時から20時です。
また、住職の弟の中村仁樹がガイヤ審査員で帰省するので、20日13時半より、本堂にてライブコンサートをいたします。皆様お誘い合わせてお出かけください。申し込み不要です。
合掌
2023年5月4日木曜日
2023年3月18日土曜日
春彼岸
春分の日を中日とした7日間である「春彼岸」。「彼岸」と聞くと、お寺やお墓へのお参りを連想される方や、「暑さ寒さも彼岸まで」など季節の変わり目をイメージされる方もいらっしゃるでしょう。
しかし本来の「彼岸」とは、私たちの輪廻(生まれ変わり死に変わり)する迷いの世界「此岸」に対し、その原因となる煩悩を川の流れに喩えて、それを超えた先にある悟りの境地を意味する言葉です。そこから、このさとりの境地を目指すための仏道修行の期間であるとされているのです。また浄土宗では「西方極楽浄土」を喩えた言葉としても用いられます。
法然上人が師と仰ぐ中国唐時代の僧、善導大姉は「お彼岸の中日にあたる春分、秋分の日には太陽が真西に沈むため、そのはるか彼方にある西方極楽浄土に想いを馳せ、往生の願いを新たにするのに適切な日である」と説かれました。このように西の方角へと沈んでいく夕日を観て、その彼方にある西方極楽浄土を思い描くことは「日想観」と呼ばれ、仏教における一つの修行として位置づけられます。浄土宗におけるお彼岸は、西方極楽浄土を想い、そこへ往くための仏道修行であるお念仏をとなえる期間としています。
またお彼岸は、自身の往生を願うだけでなく、極楽浄土にいる亡くなった方々に感謝を伝える期間でもあります。「彼岸」という言葉は元々仏教が由来ですが、仏教発祥の地であるインドや、日本以前に仏教が伝わった中国には行事としてのお彼岸はなく、日本独自のものであるとされています。古くから日本人はお彼岸という期間を大切にして、さまざまな方法で故人に対する感謝の気持ちを表現し、供養してきたのです。感謝を伝える様々な表現がある中でも、亡くなった方のために私たちが念仏をお唱えすることが何よりの感謝の表現、ご供養となります。
お彼岸の時期には、寺院での法要に参加されたり、ご家庭の仏壇やお墓参りをするなかで、亡くなった方々を想って手を合わせ、「南無阿弥陀仏」とお念仏をお唱え下さい。
浄念寺の彼岸法要は、21日の10時から行います。皆様そろってお参りください。合掌
2023年1月31日火曜日
節分
「鬼は外~福は内~」2月3日の節分には、このような掛け声とともに一年の幸せを願い、豆をまく光景をよく見かけるでしょう。
「節分」と聞くと、豆まきをしたり、恵方巻を食べる“行事”の名前と思う方もいらっしゃると思いますが、本来は季節の分かれ目のことを言い、現代では特に二月の立春の前日を節分と呼んでいます。
仏教では、「鬼」を常に飢えと渇きに苦しむ亡者「餓鬼」と同一視することもあり、その餓鬼も救いとるとの思いから、「福は内」とだけ言い、「鬼は外」とは言わないそうです。この餓鬼は、生前、嫉妬深かったり、物惜しみが強い人が生まれ変わった存在とされます。その餓鬼は私たちとも無縁の存在ではなく、私たちの心の中にも、餓鬼(鬼)と同じように、自分の幸せに執着してしまう気持ちがあります。
節分は、一年の幸せを願う行事であり、それを願うことは大切です。しかしそれが執着につながるとかえって苦しみとなってしまいます。邪気を払う節分の時期、私たち自身の心の中にある「鬼」となってしまう欲望の気持ちを払う機会としたいものです。
2023年1月1日日曜日
お正月が「冥土の旅の一里塚」(一休禅師)としてリアルに感じる年になった。年を重ねるにつれ、過去が増えて未来が減る。あるコマーシャルで川柳「おばあちゃん なにになりたい 孫がきく」が紹介されていた。なぜこれが川柳になりうるのか。それは「老人には未来がない」ことを前提にするからだ。
だが浄土経を前提にすれば、これは川柳にはならない。まだ私に孫はいないが、「おじいちゃん、将来は何になりたい?と聞かれれば、こう答えてみよう。「そうだな、この世で死んでから、まずは極楽に往生し、阿弥陀様のもとで修行し、それが終われば、この世に戻り、苦しんでいる人々を手助けする人になろう。お前が困っていたら、おじいちゃんが助けに行くぞ。」と。
そう考えれば、正月を迎えるのも悪くはない。浄土は「冥土(暗い場所)」ではなく、阿弥陀仏(無量光仏)の国土だから、光に満ちた場所だ。そこで禅師の短歌を少し浄土教的に改編しておこう。
「正月や 浄土の旅の 一里塚 めでたくもあり うれしくもあり」と。
今年は少し前向きに正月を迎えよう。 (浄土宗新聞1月号より) 合掌
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